これは、結構観た方によって解釈が変わるのではないか、という作品です。
概要(あらすじ)と、解釈や感想を織り交ぜて書きますと、
臨月の妻を持つ主人公トミーは、
ある日薄汚いパーカーを着た集団(『子供達』と表現される)に妻を襲われ、
駆けつけた時には妻には不思議な注射器が刺さっており、病院に搬送されるも死んでしまう。
しかし、赤ん坊だけは無事だった。
トミーは赤ん坊を育てつつ、あの時の恐怖を克服するセラピーに通っていた。
そこで黒人の女性セラピストが親身になって、世話をしてくれる。
なかなか恐怖を克服できないトミー。
そんな中、またあの『子供達』の襲撃がある。
家に侵入してくる『子供達』から赤ん坊と自分を守るためにトイレに立てこもるトミー。
しかし、しばらくしてセラピストの女性がやってきてくれた。
トミーが繋がりを持つ登場人物は、このセラピストと神父と神父と共にいる子供の三人だけです。
神父はどういう人物かというと……
まず、妻の葬儀で「お前の子供が狙われているぞ。」と予告してくる不思議な男。
そして、セラピストからは「あの人は狂ってるって有名なの、無視して」と言われる存在。
まだ幼い少年と共に行動しています。
少年は、実は眼が見えないらしいのですが、その代わりに『恐怖』が見えます。
この能力が後々重要になってきます。
さて、事態は急転直下。
バスに乗ろうとして乗れず(バスには誰も載っていない、車掌は無視)、
セラピストの女性は『子供達』に殺され、
赤ん坊を連れて逃げ回って、やっとバスに乗れたのですが、
「女性が殺された!」と車掌に訴えるも、無視される。
しかも、バスに『子供達』がやってきて襲撃される。
この時、ずっと守ってきた赤ん坊が拐われてしまいます。
そんなこんなで、大変な目に遭った主人公は神父を頼ることになります。
神父は、トミーに『子供達』は恐怖に寄ってくる、だから恐怖に打ち勝てと行ってきます。
しかし、まだトミーにはそんなことは出来ません。
けれど、どうにかしなければ赤ん坊を救えない。
『子供達』の巣である廃ビルに向かい、赤ん坊を奪還し、廃ビルを爆破する。
という、結構アサルトスタイルな計画が神父から提案されます。
この計画には、少年の能力が必要不可欠。
彼は『恐怖』が見えるので、誰かが恐怖していることを感知できます。
そして恐怖している状態だと、『子供達』に襲われてしまう、と。
つまり警報的な存在ですね。
廃ビルに行くにあたって、神父は不思議な話をします。
このあたり、実はよく覚えていないのですが……
「兄妹がいて、その兄妹は犬の話をしていて、
犬の兄妹が交尾して近親相姦の果てに化物が誕生して、
それがビルを腐らせていて、それが悪魔的何かを生み出している。
そして、その悪魔的な何かになってしまったものは救えない。
救おうとして、自分は感染してしまった(腕が黒ずんでいる)」
的な。
だいぶ違うかもしれません、ごめんなさい。
決して怯えてはならない廃ビルのなかを三人は進みます。
はじめは、計画通りにガス管を破壊して回ったりしたのですが、
赤ん坊の鳴き声のようなものを聞いて、トミーが一人で先走ってしまいます。
しかし、そこにいたのは灰色の肌をして奇声をあげる『子供』。
周りには食い散らかされた肉片、骨。
恐怖したトミーを当然襲おうとしますが、『子供』は足枷で繋がれていたので事なきを得ました。
勝手に行動したことを神父に叱られるトミー。
神父は計画を立てたり、『子供』との格闘にも打ち勝ったりと、頼もしいです。
しかし、頼もしい味方は、死ぬ。(テッパン)
唐突に神父が吐血します。
もしかしたら、例の感染がどうとかという影響なのかもしれませんね。
そして今まで恐怖していなかった神父が、自分の死に対して恐怖してしまいます。
「計画は変更だ、お前は娘を探して逃げろ。俺は妻も子も見捨てた、それは許されない」
神父はそんな告白をして、トミーと少年を地下に向かわせます。
どういうことでしょうか。
もしや、神父はトミーと同じ立場にあったのでしょうか。
そして、妻を失い、拐われた子も助けず見捨ててしまったのでしょうか。
トミーと少年は懐中電灯を片手に地下へ向かいます。
そこには、犬用の檻に入れられた『子供達』がいる、異様な空間が広がっていました。
そういえば、神父の話で犬というワードが出ていましたね。
だからこその(トミーが襲われたときの)足枷で、犬用の檻、なのでしょうか。
そんな中、少年は一人の『子供』の顔を見て驚愕します。
なんと、それは少年そのものだったのです。
つまり……少年は、体は『子供』になってしまったものの魂(?)は別に存在していたと。
少年は「やっぱり僕はここにいた!」と動揺しつつも嘆いているようです。
それを「大丈夫だ」宥めるトミー。
その時、赤ん坊の声がして、檻の一つから赤ん坊を無事救出することが出来ました。
廃ビルから立ち去る、トミーと赤ん坊と少年。
ビルは爆破されます。
しかし、最後、トンネルを三人が抜けようとしたときに前方に『子供達』が。
怯える少年を、今度はトミーが励まし、抱いて歩きます。
トミーはもう恐怖していない、だから『子供達』からは見えません。
そして見事、『子供達』をやり過ごし、光を浴びたところでエンディングです。
うーん。
書いていて思ったのですが、これは何か象徴的な映画なのではないかしら。
妻の死のショック(恐怖)と子を守らなければならないというプレッシャーに苛む主人公が、
セラピスト(癒して恐怖を乗り越えさせようという象徴)と、
神父(直面させて恐怖を乗り越えさせようという象徴)とに出会う。
『子供達』は恐怖そのものの象徴でしょうね。
そして、少年は……『守護』?
恐怖から護ってくれる能力を持ちながら、守らなければならない子供。
つまり、壮大な「一人の男が恐怖に打ち勝つストーリー」。
そんな感じではないでしょうか。
今回は、すごく長くなってしまいました。
それではまた。
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