2014年4月10日木曜日

【メイドのホラー映画鑑賞】 『シタデル』レビュー

今回ご紹介するのは、『シタデル』という映画です。




これは、結構観た方によって解釈が変わるのではないか、という作品です。

概要(あらすじ)と、解釈や感想を織り交ぜて書きますと、

臨月の妻を持つ主人公トミーは、
ある日薄汚いパーカーを着た集団(『子供達』と表現される)に妻を襲われ、
駆けつけた時には妻には不思議な注射器が刺さっており、病院に搬送されるも死んでしまう。
しかし、赤ん坊だけは無事だった。

トミーは赤ん坊を育てつつ、あの時の恐怖を克服するセラピーに通っていた。
そこで黒人の女性セラピストが親身になって、世話をしてくれる。
なかなか恐怖を克服できないトミー。

そんな中、またあの『子供達』の襲撃がある。
家に侵入してくる『子供達』から赤ん坊と自分を守るためにトイレに立てこもるトミー。
しかし、しばらくしてセラピストの女性がやってきてくれた。

トミーが繋がりを持つ登場人物は、このセラピストと神父と神父と共にいる子供の三人だけです。

神父はどういう人物かというと……
まず、妻の葬儀で「お前の子供が狙われているぞ。」と予告してくる不思議な男。
そして、セラピストからは「あの人は狂ってるって有名なの、無視して」と言われる存在。
まだ幼い少年と共に行動しています。
少年は、実は眼が見えないらしいのですが、その代わりに『恐怖』が見えます。
この能力が後々重要になってきます。

さて、事態は急転直下。

バスに乗ろうとして乗れず(バスには誰も載っていない、車掌は無視)、

セラピストの女性は『子供達』に殺され、

赤ん坊を連れて逃げ回って、やっとバスに乗れたのですが、
「女性が殺された!」と車掌に訴えるも、無視される。

しかも、バスに『子供達』がやってきて襲撃される。
この時、ずっと守ってきた赤ん坊が拐われてしまいます。

そんなこんなで、大変な目に遭った主人公は神父を頼ることになります。
神父は、トミーに『子供達』は恐怖に寄ってくる、だから恐怖に打ち勝てと行ってきます。
しかし、まだトミーにはそんなことは出来ません。

けれど、どうにかしなければ赤ん坊を救えない。
『子供達』の巣である廃ビルに向かい、赤ん坊を奪還し、廃ビルを爆破する。
という、結構アサルトスタイルな計画が神父から提案されます。

この計画には、少年の能力が必要不可欠。
彼は『恐怖』が見えるので、誰かが恐怖していることを感知できます。
そして恐怖している状態だと、『子供達』に襲われてしまう、と。
つまり警報的な存在ですね。

廃ビルに行くにあたって、神父は不思議な話をします。
このあたり、実はよく覚えていないのですが……
「兄妹がいて、その兄妹は犬の話をしていて、
犬の兄妹が交尾して近親相姦の果てに化物が誕生して、
それがビルを腐らせていて、それが悪魔的何かを生み出している。
そして、その悪魔的な何かになってしまったものは救えない。
救おうとして、自分は感染してしまった(腕が黒ずんでいる)」

的な。

だいぶ違うかもしれません、ごめんなさい。

決して怯えてはならない廃ビルのなかを三人は進みます。
はじめは、計画通りにガス管を破壊して回ったりしたのですが、
赤ん坊の鳴き声のようなものを聞いて、トミーが一人で先走ってしまいます。

しかし、そこにいたのは灰色の肌をして奇声をあげる『子供』。
周りには食い散らかされた肉片、骨。
恐怖したトミーを当然襲おうとしますが、『子供』は足枷で繋がれていたので事なきを得ました。

勝手に行動したことを神父に叱られるトミー。
神父は計画を立てたり、『子供』との格闘にも打ち勝ったりと、頼もしいです。
しかし、頼もしい味方は、死ぬ。(テッパン)

唐突に神父が吐血します。
もしかしたら、例の感染がどうとかという影響なのかもしれませんね。
そして今まで恐怖していなかった神父が、自分の死に対して恐怖してしまいます。

「計画は変更だ、お前は娘を探して逃げろ。俺は妻も子も見捨てた、それは許されない」

神父はそんな告白をして、トミーと少年を地下に向かわせます。

どういうことでしょうか。
もしや、神父はトミーと同じ立場にあったのでしょうか。
そして、妻を失い、拐われた子も助けず見捨ててしまったのでしょうか。

トミーと少年は懐中電灯を片手に地下へ向かいます。
そこには、犬用の檻に入れられた『子供達』がいる、異様な空間が広がっていました。

そういえば、神父の話で犬というワードが出ていましたね。
だからこその(トミーが襲われたときの)足枷で、犬用の檻、なのでしょうか。

そんな中、少年は一人の『子供』の顔を見て驚愕します。
なんと、それは少年そのものだったのです。
つまり……少年は、体は『子供』になってしまったものの魂(?)は別に存在していたと。

少年は「やっぱり僕はここにいた!」と動揺しつつも嘆いているようです。
それを「大丈夫だ」宥めるトミー。
その時、赤ん坊の声がして、檻の一つから赤ん坊を無事救出することが出来ました。

廃ビルから立ち去る、トミーと赤ん坊と少年。
ビルは爆破されます。

しかし、最後、トンネルを三人が抜けようとしたときに前方に『子供達』が。
怯える少年を、今度はトミーが励まし、抱いて歩きます。
トミーはもう恐怖していない、だから『子供達』からは見えません。

そして見事、『子供達』をやり過ごし、光を浴びたところでエンディングです。


うーん。
書いていて思ったのですが、これは何か象徴的な映画なのではないかしら。

妻の死のショック(恐怖)と子を守らなければならないというプレッシャーに苛む主人公が、
セラピスト(癒して恐怖を乗り越えさせようという象徴)と、
神父(直面させて恐怖を乗り越えさせようという象徴)とに出会う。

『子供達』は恐怖そのものの象徴でしょうね。

そして、少年は……『守護』?
恐怖から護ってくれる能力を持ちながら、守らなければならない子供。

つまり、壮大な「一人の男が恐怖に打ち勝つストーリー」。
そんな感じではないでしょうか。

今回は、すごく長くなってしまいました。

それではまた。
ご機嫌よう§(´ω`*§


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